【感想】嫌われる勇気(第三夜)

読書感想

第二夜までのお話で、

とにかく”勇気”が必要だ!

ということが分かりました。

しかし、ただ単に「勇気を出せ!」

というだけでは、精神論に終わります。

第三夜では、

勇気を語る上で欠かせない、

自由についての議論から始まります。

「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

人は他者から褒められたい

認められたい

という欲求があります。

このことを「承認欲求」といいます。

 

親に褒められたいからテストでいい点を取る。

パートナーに認められたいから家事を手伝う。

よくある話だと思いますが、

アドラー心理学では、

他者から承認を求めることを否定します。

それは何故かというと

例えば

職場でごみ拾いをしていたとします。

周りは全く気付かない。

あるいは、

気づいたとしても誰からも感謝されない。

そんな状態でもごみ拾いを続けますか?

承認欲求の強い人は、

こんな状態では、ごみ拾いをやめてしまいます。

それは何故か?

みんなのために汗を流しているのに、

感謝の言葉一つももらえないなんて、やっても意味がない

と考えるからです。

そもそも「職場をきれいに保ちたい。」

という思いがあれば、

感謝されるかどうかは関係ないはずですよね。

極端な話、これは

「他人の反応で自分の行動が操られている。」

といえ、

自由に行動ができていない!

でしょう。

 

他人が期待(感謝)することは続けて、

他人が期待(感謝)しないことはやめる。

これでは、

他者の期待を満たすために生きてしまっています。

自分の人生を

「他者の期待を満たすため」

に生きるのは馬鹿げていると思いませんか?

同じように

他人も別にあなたの期待を満たすために生きているわけではない。

そう考えれば、

相手が自分の思うとおりに動いてくれないのは

当たり前ですよね。

じゃあ、自分本位に、身勝手に振舞っていいのか

といわれると、そうではありません。

ここを理解するには、

アドラー心理学における

「課題の分離」という考え方が重要になってきます。

「課題の分離」とはなにか

「課題の分離」とは、

目の前にある課題は、

自分の課題なのか

他人の課題なのかを

分離して考えるというものです。

 

例えば、

なかなか勉強しない子供に、

「勉強しなさい!」

と言ってしまいがちですが、

これはあなたの課題ではありません

「勉強するかしないか」は、子供の課題です。

これは他人の課題に対して

土足で踏み込むような行為です。

これではいやいや勉強をするだけ。

言われたから勉強をしているだけです。

この場合、親は

「あなたのためを思って言っている。」

というでしょう。

しかし、

世間体見栄を気にしていたり

親の理想の職業に就かせたい

と思って、言っているかもしれません。

それでは、

「あなた(子供)のため」ではなく、

「わたし(親)のため」であり、

その欺瞞を察知するからこそ、

子供は反発します。

だからといって勉強しない子供を

放置することは親としていかがなものか。

じゃあ「課題の分離」を考え、

勉強をするのは子供の課題

親ができる課題は何があるのか?

親ができる課題とは、

勉強することは子供の課題だ」と気づかせることや

なぜ子供は勉強しないのか?を考えたときに、

「勉強しないのは、親にかまってほしいからかもしれない。」

という目的論から導かれる、対応方法があるかもしれません。

そういったことを考え、

直接、勉強をすることを強制するのではなく、

まず、相手を理解することが「親の課題」かもしれません。

これは”7つの習慣”の「第5の習慣」でもいわれていることです。

 

本書で非常に印象に残った文章として、

「馬を水辺に連れていくことはできるが、

水を吞ませることはできない。」

というある国のことわざがありました。

課題の分離」という考えを

端的に言い表している文章だなと思います。

自分を変えることができるのは自分しかいない。

他人ができることは、その手助けをするまで。

 

対人関係の悩みを一気に解決する方法


「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知ること。

そして他者の課題は切り捨てる。

それが人生の荷物を軽くし、

人生をシンプルなものにする第一です。

対人関係の悩み」は

大体が

「自分の課題ではない」ことについて

自分の課題かのように考え、悩んでいる。

  

相手に嫌われたくない

という思いは正常ですが、

「わたしのことを嫌うかどうか」

は他者の課題です。

自分をよく思わない人がいたとしても

そこに介入することはできません。 

「自由」とは

嫌われる勇気を持つ

ということ。

  

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